いくぞうゴロゴロ

「やってやれないことって、ないと思うんだよね」というかっこよい親友の言葉に感化され、超ポジティブ人間になろうと思ったけど、自由時間がとれなくてやや育児ノイローゼ気味な20代後半子持ちポエマー。

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週末に、チャリティー番組を見た。

 

思えば、あまりテレビを見ない環境で育ったことと、そもそもこの番組になんとなく違和感を感じていたため、ちゃんと見たことがなかった。

 

しかし、実際に見ると感動して泣いて、なんとなく前向きな気持ちになれた。

 

 

次の日、同じ時間帯で「障がい者=感動」のイメージを売り物にするな、という番組があったことを知る。

 

youtubeで見たら、衝撃を覚えた。

 

あのチャリティー番組には

過去の栄光→悲劇→周りの支え→努力→前向きに生きていく

というパターンがあり、

障がい者は「努力の人」といったイメージが、自分の心の中に植えつけられていた。これは、番組により作られた障がい者像だったと気づいた。 

 

そして、「健常者が自分より大変な人を見て『自分はマシだ』と思える番組」ではないかと言われると、前から持っていた違和感の正体は、これだった。

 

番組を見て感動し、前向きになった自分の心に、障がい者を見下した気持ちがあった。(みんながみんな、そうではないと思うが)

少し悲しかったけれども、とても理解できた。

 

そういう風な「イメージ」を、メディアから植えつけられていた。

 

これは「障がい者」だけではないと思う。

 

「こども」「女性」「男性」

「若者」「高齢者」「外国人」

 

人を表す表現には、なにかしらの「イメージ」が、植えつけられているのではないだろうか。

 

そう考えると、自分が今まで持っていた常識ってやつは、誰かに都合よく作られたものなのかもしれない。